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北野天満宮 天満宮と言えば菅原道真を祀る神社 京都市上京区

2022/06/26 07:50:15 | 北野天満宮 | コメント:0件

北野天満宮
2022.06.08

京都の北野天満宮へ一年ぶりに行ってまいりました。
毎年、年の初めの1月か2月ぐらいにお参りしているんですが、今年は自重して今になってしまいました。
半年遅れの初詣、6月になっても初詣と言って良いのか分かりませんが…。

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「今出川通り」と「御前通り」の大きな交差点の角、向かいに上京警察署、一の鳥居はこの交差点に面しています。

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駐車場はその一の鳥居の左側の道路脇から入ります。

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天満宮と言えば「菅原道真(すがわらのみちざね)」を祀る神社です。
他にも太宰府天満宮、大阪天満宮、亀戸天神、湯島天神、防府天満宮など道真を祀る神社は全国に1万2000社もあると言われています。

素人考えながら中でも「太宰府天満宮」と、この「北野天満宮」が双璧ではないでしょうか。

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菅原道真(すがわらのみちざね)は、平安時代(794年〜1185年まで391年間)初めの頃の845年6月25日生まれで、菅原氏は代々続く学問の家系の中級貴族でした。 

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小さな頃から神童と称され、学者としての最高位であった 文章博士(もんじょうはかせ)となり、宇多天皇に寵愛されて右大臣にまで栄達します。

しかし、こうした出世が貴族たちの反発を呼び、ライバルの有力貴族である藤原時平(左大臣、道真の1つ上の位)が醍醐天皇に「道真があなたを廃して斉世親王(醍醐の弟、道真の娘婿)を即位させようと企んでいる」と讒言したのです。
この言葉を信じた醍醐天皇は、九州の大宰府へ道真を左遷。

2年後、道真は失意の中903年2月25日、太宰府の地で亡くなりました。
59歳でした。

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それから5年後の908(延喜8)年、藤原菅根が雷にあたって死にます。
菅根は道真の弟子だったのに、師の失脚に加担した人物でした。

さらに翌年、道真を不幸に追いやったライバルの時平が、39歳の若さで急死。

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さらに、923(延喜23)年、醍醐天皇の皇太子の保明親王が21歳の若さで亡くなる。
保明は、藤原時平の妹・穏子が産んだ子(2歳で皇太子となりましたが、即位することなく死去)でした。

醍醐天皇もこれは道真の祟りではないかと考えるようになり、道真の大宰府行き(左遷)を命じた勅書を破棄し、その地位を右大臣に戻したうえ正二位を追贈。

930(延長8)年、御所の清涼殿に雷が落ち、大納言の藤原清貫と右中弁の平希世が亡くなった。
これに衝撃を受けた醍醐天皇は体調を崩し、皇太子の寛明親王(保明の弟)に皇位を譲り、その年のうちに崩御。

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時平一族の不幸が続くなど異変があいついでおこり、また洪水、長雨、干ばつ、伝染病などの変異が毎年のように続き、人々はそれを道真の霊魂のしわざだと信じた。
なかでも宮中清涼殿に落雷して焼死者を出した事件は人々を恐怖させた。

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そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建。

「天神」とは人々に災いを与える荒ぶる神の総称であり、「天満」とは道真の「怒りが天に満ちた」というお告げに由来するといわれています。
こうして菅原道真は天満天神として、北野天満宮にまつられるようになり、学問の家柄である菅原一族が管理することになりました。

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道真は生前、学問に優れていたことから、詩文の神と意識されるようになりました。
朝廷もこの神社を保護して勅祭の社にしたこともあり、繁栄するようになりました。

鎌倉時代や室町時代になると、北野天満宮で歌合わせや連歌の会など文化的な行事が開催され、人々も学問や芸能の進展を願ってこの社に詣でるようになったのです。
また、919年、醍醐天皇は道真の怒りを静めるため太宰府に社殿を造るよう命じます。
これが現在の太宰府天満宮のもととなったとされています。

時が経ち1004年、一条天皇は道真に、朝廷で一番偉い役職である太政大臣の位を贈ります。
また、北野に参拝し、同時に大宰府の天満宮でも、天皇の命令により祭事が行われました。

その北野天満宮には、菅原道真にちなんだ「梅」「牛」などが幾つもあります。

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「三光門」も有名ですね。

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今の時期、新緑の季節で本殿の西側の「御土居」で「青もみじ苑」を公開(有料)していました。

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北野天満宮
京都市上京区馬喰町
075-461-0005
開門時間 9時~17時



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