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金前寺 地名の金ヶ崎(かねがさき)の元となった。

2018/08/11 08:43:46 | 金前寺 | コメント:0件

金前寺
2018.08.02

敦賀、金ヶ崎宮の参道入り口に高野山真言宗の古い歴史をもつ「金前寺」というお寺があります。

金前寺は、天平8年(736年、奈良時代)45代聖武天皇の霊夢により勅を奉じた泰澄大師が十一面観音の坐像を本尊として寺を建てた、とあります。
そして天皇親筆による金光明経を賜り、その経を金櫃に封じて陵丘に埋めさせた。
それによりこの山を金ヶ崎(かねがさき)と名付け、寺名を金前寺と号した。
尚、金前寺の所伝によれば金前というのは金光を発する十一面観音からその名が出たとも云われる。

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というのですから由緒のあるお寺なのです。
しかし、檀家や近隣の人は知っているでしょうが、敦賀の人でもなかなか知られていない。
どちらかと言えば知名度も観光地としてもマイナーかも知れない。

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「応仁2年(811年)弘法大師ご留錫(りゅうしゃく)あり、当山は気比神宮の奥の院として、伽藍十二坊を有し」とありますから、当時はかなり広い敷地を有していたんでしょうね。

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現在は、「昭和20年7月12日夜、空襲より堂宇(どうう)、寺宝の一切を焼失灰塵と化した。
後、昭和27年、37年に本堂の修復増築工事。平成元年には現在の本堂、庫裡を再建する」とありましたので、新しくなっています。
なので、残念ながら本堂と庫裡しかなく、敷地も狭い。
当時の一部でも残っていれば、重要文化財とかに指定されて、もっとメジャーだったかも知れませんね。

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金前寺ね本尊である「十一面観音」は、人々から「袴掛観音」(はかまかけかんのん)と呼ばれ、縁結びで知られていました。
この仏様は、古く「今昔物語集」(平安末期の説話集)などに由来が記されています。

また、金前寺には、松尾芭蕉の句碑(鐘塚)もあります。
これは、延元元年(1336年)10月、新田義貞が金ヶ崎に城を築きましたが、翌2年3月6日、足利尊氏の軍に攻められて敗走し、その際に義貞は陣鐘を海に沈めた。
そののち国守が海女に命じて探させたが、鐘の竜頭がさかさまに落ち込んで泥に埋まり、引き揚げることができなかった。と云われています。
元禄2年(1689年)8月14日夕、等栽と敦賀に入り、金前寺を訪れた芭蕉は、その物語りを聞いて詠んだのが

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「月いづこ 鐘は沈るうみのそこ はせを」

この句碑(鐘塚)は、宝暦11年(1761年)に敦賀の俳人、白崎琴路らが芭蕉の没後68年目に建立した。
芭蕉の真筆を刻んだと伝えられているが、この真筆は不明。鐘塚は県内に残る句碑の中で最も古い。



金前寺
敦賀市金ヶ崎町1-4 
0770-22-1909 




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